スクランブルエッグ

私による私の為の生存記録

伝える英語、伝わる英語

英語が伝わることと英語が喋れることはイコール関係ではない。
私は会話において英語の文をクリエイトするのがとても苦手だ。
それ故に平易な文法を使用してしまうし、時制や格変化を間違える。
聞かれたことに対して答えることはできるが、此方から話題を振ったり問答や意見を言うのが殊更ダメ。


とはいえこちらに来て早一ヶ月、何とか生活できるようにはなったし話したいことが伝わらなくて困るという事はかなり少なくなった。
けれども私は英語を喋れていない。
私が話しているのは英語ではあるが正しい文ではないのだ。様にするに伝わるけれど文法が滅茶苦茶ということだ。
話していて、あぁ今使うべきなのは現在完了形だった今の言葉には助動詞が足りていない。
この言葉の続け方は不自然、此処で切ったのは文としておかしかったいや文になっていない。
語順が違う、主語目的語が抜けた。
取りあえず思いついて且つやらかした物を書き散らかしだけれど絶対にまだまだあると思う。
つまり私は英語を伝えられていない


という訳で先生に相談したら、話す上では文法が無茶苦茶でも使う事が大事だからとにかく話すことだと助言をいただいた。
これだけならそんなの分かってますよ~で終わった。もうそんな時代は終わっているんだ。
だがその後に常に文法を頭の中ではキープしておくこと、とお続けになった。
thinkじゃないんだ、keepなんだって話。その言葉選びもかなり面白かったことではあるのですが、取りあえず私はこれを先生が仰る前から行っていた。
でもあんまり進歩が見られないんですよね。
というのも今はこのミスに気付くのが遅い、話し終わって10秒後辺りに気付く。
その場で気付けば言い直す→口に出して覚えるみたいな反復学習ができて飛躍的に語学力が上がる気がする。

今日、喋れる同じ国籍のクラスメートと文法について話した。その際彼女がこのように意見してくれた。
「自分で口に出してみて音的な違和感があったら言い直すようにしている。」
違和感は感覚だ。
以前、ボカロ留学日記のへえ?あぁ、そう。で感覚こそが最も重要な物だと力説した。直ぐに気付けないのは不協英音に対する違和感が鍛えられていないから。
その感覚はまだまだ鍛える必要があるが、ここではその先がある。
違和感を感じて直す能力だ。これが文構成能力であり文法力だろう。
つまり文法力も足りていないから上手く伝えられず、且つ向上が亀の歩みなのだろう。

順番が前後して申し訳ないが、もう1つ先ほどの先生が仰った言葉がある。
「凄く喋れて文法が滅茶苦茶な子、凄く文法を理解しているけれど喋れない子。この2つは時間の経過とともに高い方に近づいてきて最終的に同じレベルの力を身に着けられる。」
これには衝撃を受けた。完全に解釈になってしまうが総合的な能力はより高い方の更に上に行くことはないということだ。
前者は喋りのレベルが、後者は文法のレベルが総合力の限界値。レベルは完全に定着している部分しかカウントされず曖昧な部分は使えない。

私が身に着けたいのは伝わる英語であり綺麗な英語なのだ。
伝わる英語ではなくて伝える英語。
発音の問題はとりあえず投げて置く。(何故ならこれが真の問題になるのは対異邦人だからだ)
そうだ、参考書読もう。英文を読んでリスニングをしよう。感覚鍛えるのだ。


また、更にボカロ留学日記で消去法をディスりまくったのだが、参考書の問題を消去法で解きまくった経験を経て一つの結論に辿りついた。
人は完全に定着していない場合に消去法を使って解を導くのだと。
これを入れたら変ではなくて、これは入らないと判断するのだ。
そしてそれを判断するのもまた文法力なのだ。この現象は文法力だけでは言語が見に付かないことを体現しているのではないだろうか。


というか結局全てをやらないと完璧には身に付かないだろうなぁ。キレそう。人嫌いなのに。
でも今日喋れるその子に友達づくりのアドバイスや意気込みを聞いたので少し頑張ってみようと思う。